「海外を知らなければ日本をも知らない」
とよく聞く。
それは、比較するものを持たないまま、
じぶんの主観だけで自国を評価することから
言えることである。
自分の主観ほどあてにならないものはないことは
これまでの人生でいやというほど思い知らされてきた。
なんなら最近も、
「白飯はどれも味は同じ。」
と思っていたことに対して、
妻からは「違う」と反対意見が寄せられた。
本書は、社会派ブロガーとして自他共に認めるちきりんさんが、
半生をかけて旅してきた様々な国でのエピソードと、
ちきりんさんがそれに対して「どう考えたのか」が
トピック別にまとめられたものである。
ひとつひとつの言葉の選び方が丁寧で、
考え抜かれていて、場面を想像しやすく、感情が溢れている。
本記事では、この「世界を歩いて考えよう!」を紹介し、
特に印象に残った3つのエピソード(をネタバレなしで)と、
じぶんはどう考えたのかをここに書きたい。
この記事の目次
![](https://lifegraph2357.com/wp-content/uploads/2021/08/pexels-elena-blessing-2674052-1024x682.jpg)
「生きるために他を食べる」という大原則を、
目前にした食物連鎖と弱肉強食により、
再認識することになった。
キリンの親子、ライオン、ハイエナ、鳥、
そして「それ」を拝見する人間。
「その行為」を『あまりの厳しさ』と表現されるあたり、
そのときの人間たちの心境が伝わってくる。
じぶんはもちろん、それを見たことはない。
生きる理由は、強制的にそれを考えさせられるような状況に
遭遇してはじめてその理由を真剣に考えることになる。
いまじぶんが生きるこの瞬間、
生きる理由を考えなくてもいいということが、
豊かな社会の与えてくれるものであると思った。
また、難しいことを考えず、シンプルに生きていきたいし、
こどもたちにも小さなことに囚われることなく、高い視座で生きてほしい
![](https://lifegraph2357.com/wp-content/uploads/2021/08/pexels-roxanne-shewchuk-2184177-1024x682.jpg)
数千年前に作られた巨大な建造物を前にしたとき、
現代人は過去の人への敬意なんかより、
人ではないなにか違う生き物を思いうかべるのかもしれない。
しかし、紛れもなくそれは、古代の人が途方も無いリソースを
支払って完成させたものである。
ここでいうリソースは、概ねが人命。
このような多大な犠牲を払うことは、現代ではかなわないからこそ、
ルクソールのような、半端じゃない遺産建造物が価値をもつ。
筆者は、ここでも生き方に触れていた。
じぶんに刺さるのはこういうコンテンツなのかなと思うと、
じぶんが心配になる。
生きている、このときを楽しく生きたい。
![](https://lifegraph2357.com/wp-content/uploads/2021/08/pexels-thanhhoa-tran-1582977-1024x576.jpg)
経済格差について、それを認識できる日本のような国はまだいい。
格差があるのが当たり前だと思ってしまうと、それは格差とは言えなくなる。
ベトナムでのある場面を目撃した筆者は、
長いことその場で考えてそうだった。
「実はそれは日本にとってもそう遠くない日本の過去の光景」
時間的な格差を認識できないじぶんも、危ういのかなと思った。
『ファクトフルネス』という本で、
世界全体は着実に改善されているし、豊かになっている。
と見たときも、それが事実であることを飲み込むまでに時間がかかった。
格差を皆で認識し、共有し、改善できる世界になると、
世界が良くなっていくスピードも上がっていくだろう。
国内のジェンダー問題も、一昔前まではそれが当たり前だった。
それが問題だと認識されることによって改善される。
たぶんそういう意味もあると、ここに書きながらおもった。