「海外を知らなければ日本をも知らない」
とよく聞く。
それは、比較するものを持たないまま、
じぶんの主観だけで自国を評価することから
言えることである。
自分の主観ほどあてにならないものはないことは
これまでの人生でいやというほど思い知らされてきた。
なんなら最近も、
「白飯はどれも味は同じ。」
と思っていたことに対して、
妻からは「違う」と反対意見が寄せられた。
本書は、社会派ブロガーとして自他共に認めるちきりんさんが、
半生をかけて旅してきた様々な国でのエピソードと、
ちきりんさんがそれに対して「どう考えたのか」が
トピック別にまとめられたものである。
ひとつひとつの言葉の選び方が丁寧で、
考え抜かれていて、場面を想像しやすく、感情が溢れている。
本記事では、この「世界を歩いて考えよう!」を紹介し、
特に印象に残った3つのエピソード(をネタバレなしで)と、
じぶんはどう考えたのかをここに書きたい。
この記事の目次
「生きるために他を食べる」という大原則を、
目前にした食物連鎖と弱肉強食により、
再認識することになった。
キリンの親子、ライオン、ハイエナ、鳥、
そして「それ」を拝見する人間。
「その行為」を『あまりの厳しさ』と表現されるあたり、
そのときの人間たちの心境が伝わってくる。
じぶんはもちろん、それを見たことはない。
生きる理由は、強制的にそれを考えさせられるような状況に
遭遇してはじめてその理由を真剣に考えることになる。
いまじぶんが生きるこの瞬間、
生きる理由を考えなくてもいいということが、
豊かな社会の与えてくれるものであると思った。
また、難しいことを考えず、シンプルに生きていきたいし、
こどもたちにも小さなことに囚われることなく、高い視座で生きてほしい
数千年前に作られた巨大な建造物を前にしたとき、
現代人は過去の人への敬意なんかより、
人ではないなにか違う生き物を思いうかべるのかもしれない。
しかし、紛れもなくそれは、古代の人が途方も無いリソースを
支払って完成させたものである。
ここでいうリソースは、概ねが人命。
このような多大な犠牲を払うことは、現代ではかなわないからこそ、
ルクソールのような、半端じゃない遺産建造物が価値をもつ。
筆者は、ここでも生き方に触れていた。
じぶんに刺さるのはこういうコンテンツなのかなと思うと、
じぶんが心配になる。
生きている、このときを楽しく生きたい。
経済格差について、それを認識できる日本のような国はまだいい。
格差があるのが当たり前だと思ってしまうと、それは格差とは言えなくなる。
ベトナムでのある場面を目撃した筆者は、
長いことその場で考えてそうだった。
「実はそれは日本にとってもそう遠くない日本の過去の光景」
時間的な格差を認識できないじぶんも、危ういのかなと思った。
『ファクトフルネス』という本で、
世界全体は着実に改善されているし、豊かになっている。
と見たときも、それが事実であることを飲み込むまでに時間がかかった。
格差を皆で認識し、共有し、改善できる世界になると、
世界が良くなっていくスピードも上がっていくだろう。
国内のジェンダー問題も、一昔前まではそれが当たり前だった。
それが問題だと認識されることによって改善される。
たぶんそういう意味もあると、ここに書きながらおもった。